各像のタイトル及び解説はこのサイトの作者が勝手につけたもので、銅像作者による題は別にあります。(題のない像もあります) 銅像・石像等の作者名は全てわかっているわけではないため、大変失礼かとは思われますがここでは紹介していません。
伊吹山の山頂に立つ日本武尊像
東征の後、宮簀媛の館から伊吹山の神との戦いに来た日本武尊ですが苦戦を強いられてしまいました。それは館に大切な草薙剣をおいてきてしまったことも、伊吹山の神の力を侮ってしまったことも原因です。
野鳥が飛んできて顔を汚してしまいました。すぐに雨が降って洗い流してくれるでしょう。
鎧を身に着けた日本武尊像
年をとった日本武尊像
日本武尊の終焉の地には白鳥陵候補がいくつかありますが、加佐登神社の境内に立つ日本武尊はまるで玉手箱を開けた浦島太郎のようです。
兼六園の日本武尊像
「明治紀念之標」(金仏様:かねぶつさま)です。西南戦争で戦没した石川県の兵士を慰霊するために建てられました。この像は戦時中の金属供出を免れたばかりか、金仏様は仏であるとして戦後の進駐軍による撤去を免れました。この像は「日本第一号の銅像」です。(九段の村益次郎像は明治21年、上野の西郷隆盛像明治30年の完成、この日本武尊像は明治13年です。)以前にテレビでも話題にしていましたがここ兼六園にある日本武尊像にはほとんどハトの糞がついていないそうです。それは銅を溶かすために使われるヒ素が他の銅像より多く使われた事によるようです。「銅とヒ素の2つの金属が接触した場合に生じる電位差により電流が流れて電磁誘導現象が発生する」ため、鳥が微量の電磁波を感じ取り近づかないと説明されていました。
同じような顔をした日本武尊像
おしゃれな日本武尊像
米原市の春照(すいじょう)の道路沿いにあるのは伊吹山を背にして立つ像です。『古事記』にある猪と対峙する日本武尊ですが、西洋的な雰囲気がありおしゃれです。とてもスマートでかっこいいと評判です。
でっかい日本武尊像
三峰神社の境内の奥に少し小高い丘があり石が積まれた真ん中にこの大きな日本武尊像が立っています。威厳に満ちた顔でここから全国を見渡しているかのような堂々たる姿です。
もう一つの日本武尊像
三峰神社にはもう一つの像があります。大きな鳥居をくぐって参道を歩いていると博物館の前に出ます。その前に小さな木が茂っているところがあり、そこに兜を手にした日本武尊の像が立っています。
お気に入りの日本武尊像
このサイトのトップページに採用した日本武尊像像です。日本平の広い駐車場に立っていて日本平の山頂を睨みつけています。賊を前にして戦いに挑む姿でしょうかとても輝いて見えます。
横向きの日本武尊像
風格満点な日本武尊像
衣服のしわやたるみまでこまかな表現がリアルで、日本武尊がほんとうにそこに立っているかのように錯覚してしまうほどです。もし東征後無事に大和の宮に戻っていたら次の天皇になっていただろう日本武尊です。全国を治めて威厳を示す姿が表現されているように思います。
陶器の日本武尊像
塔の上の日本武尊像
弟橘媛と向き合っている日本武尊です。太田山の山頂にある塔の上にあるため、下から見上げるしかなく、正面から見ることはできません。そのため、顔の表情までを見ることもできません。離れたところから全身の姿を見ることができますが、より細部まで見るのなら双眼鏡が必要です。
痩せた小さな日本武尊像
『常陸国風土記』にある玉清井には勾玉の首飾りを捧げる小さな日本武尊像があります。この他、鴨宮にも同じ作者の鴨を矢で射落とそうとする日本武尊像の銅像があります。
日本一大きな太刀と日本武尊像
伝説の白鳥は鶴であったり白鳥(はくちょう)であったりしますが、ここでは鷺(さぎ)としています。日本武尊像の大きさに比べ、太刀は巨大です。風雨にさらされることのないよう屋根のある建物に保護されています。
少年のような日本武尊像
木更津大橋にある見つめあう日本武尊と弟橘媛の像は少年少女の面影を見せています。弟橘媛は実際に年上だったと言うせつもあり、その雰囲気が漂っています。
舞をしているような日本武尊像
中国舞踊、西遊記を想像させるような日本武尊です。全体が白い日本武尊と白鳥が融合しているようなイメージを感じる像です。