日本武尊伝説

日本武尊伝説

日本武尊の
足跡を追いかける

令和元年公開開始

倭は国のまほろば
 たたなづく 青垣
  山隠れる
   倭しうるわし

 
 

日本武尊の物語は伝説か実話か

 大和朝廷は全国を治めていく過程で各地で抵抗する”まつろわぬ者たち”を制圧(国の平定)する必要がありました。そこで、天皇の皇子として生まれた日本武尊が将軍として派遣されました。『日本書紀』や『古事記』をもとに、日本武尊による西征・東征の舞台となっているところに出かけ、その「足跡」を確かめます。(以前 『古代史の扉』『伝説の扉』で公開していた「日本武尊伝説」を大きくリニューアルし、新たなサイトとして公開しました。)

静岡県の日本平にある日本武尊の銅像です。
剣や雲が動いて見えるよう加工してあります。
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 本サイトは、日本武尊の一生を、生い立ち、熊襲征伐の西征、蝦夷征伐の東征、白鳥となって飛翔の大きく4つに分けました。資料編を加えて5つのブロックで構成しています。

生い立ち

 日本武尊の父は第12代景行天皇、母は播磨稲日大郎姫です。天皇の第一皇子は大碓皇子で小碓尊とは双子の兄(『紀』)です。

西征 熊襲征伐

 景行天皇の西征から12年後のことです。熊襲がまた騒ぎ始めました。天皇は16歳の小碓尊に熊襲を討つよう命じ派遣しました。

東征 蝦夷征伐

 東国から蝦夷が反乱を起こしているとの情報が入りました。そこで、再び日本武尊が東国平定のため派遣されることとなりました。

白鳥飛翔

 伊吹山の神は雹を降らせて日本武尊を攻撃しました。日本武尊は病となり、回復することなく能褒野で亡くなってしまいました。

資料編

 伊勢神宮、熱田神宮、草薙剣、四道将軍、吉備氏、建稲種命、古事記・日本書紀など日本武尊に関連する資料です。

 
 
*全てのページで画像を多く使用しています。そのため、ページ全体の表示に少々時間がかかる場合があります。ご了承ください。
 
*概説から西征までのリーフレットを作成しました。今後随時追加していきます。
リーフレット

大和朝廷と日本武尊伝説

橿原神宮

  神武天皇が初代天皇となったころはまだ全国が一つにまとまってはいませんでした。初期の大和朝廷は近畿地方を中心にその勢力を西や東に拡大しようとしていたのです。西は吉備から山陰、東は近江から東海に徐々に広がっていきました。中央の勢力の拡大とともに地方の首長らは皇族と婚姻関係をつくることでその力を確固たるものにしようとします。こうして第5代考昭(こうしょう)天皇の時代は尾張や美濃、第7代孝霊天皇の時代には吉備国まで勢力を広大しました。これを裏付けるように、奈良の纏向遺跡からは東海系の土器や吉備、北陸、近江、山陰の土器も出土しているのです。第10代崇神天皇以降、さらに全国に支配を広げようとしていたのです。そして、第12代景行天皇の時代には纏向を含む大和地方には古代都市とも言える大きな都があり、そこにヤマトタケルノミコトが登場して大和朝廷の支配がさらに拡大していくのです。

 大和朝廷は全国を支配していく過程で、各地で抵抗する”まつろわぬ者たち”を征伐する必要がありました。そこで、天皇の皇子として生まれたヤマトタケルノミコトが各地に派遣され、国の平定のために大活躍しました。記紀はその様子を景行記の中で大々的にとりあげ、一人の英雄として描いています。
 ヤマトタケルノミコト(漢字では「日本武尊」『日本書紀』 「倭健命」『古事記』と表記)は大和朝廷(大和王権・大和政権とも表記される)が全国を統一していく過程で活躍したヤマト(倭国)の複数のタケル(勇者あるいは将軍を意味する)たちの物語とする説が有力です。実際に小学校6年生の社会科の教科書(東京書籍)にもそのように記載されています。
 しかし、日本各地の伝承・伝説を調べてみると「ヤマトタケルノミコト」は複数の人物を一人にまとめた名とは考えにくいことがわかりました。やはりヤマトタケルノミコトは「日本武尊」という一人の人物として見るべきではないかと思えてきたのです。それは日本武尊が単に神話、伝説や架空の物語上の人物ではなく、本当は実在したのではないかと思わせるだけの伝承が全国にあるからにほかなりません(以降、人物名等の漢字表記は『日本書紀』を基本としています) そこで、日本武尊による悪党征伐が伝説として伝えられている地(鹿児島県から岩手県)に実際に出かけ「日本武尊の足跡」を確かめていきます。 
 このサイトでは「日本武尊は実在の人物」とは断定していません。また、各地の伝説が全て事実にもとづくものとは考えていません。伝説は史実ではなく、伝説です。歴史のロマンだけで史実とは考えません。ただ、伝説があるということは何らかの関係・根拠がそこにあると思っています。それが何か、図書館やネットで調べただけでは実感できないことを現地に実際に出かけて探りたいと考えたのです。