古代のヒーローと言われる日本武尊はどこで生まれ
何をしたのか。大和朝廷が全国を統一していく過程
で活躍した物語を概説しています。
日本武尊は誰の子でどこで生まれたのでしょう。
日本武尊の妃となった人は、その子は?
熊襲が再び騒ぎ始めました。それを鎮めるために天皇は皇子の
小碓を派遣しました。小碓尊は熊襲との戦いの前に土蜘蛛と戦いました
熊襲との戦いの場は諸説ありますが、宮崎県もその戦場でした。
熊襲は球磨郡と曽於郡から付けられた名と言われ、
一般的に戦場は鹿児島県とされています。
東征の行程を概観します。
都を出発した日本武尊は伊勢にいる叔母の倭姫命を訪ねました。
蝦夷との戦いには武勇に優れた副将軍や多くの兵たちが
軍を組織して同行しました。
伊勢から尾張に向かった日本武尊は宮簀媛と出会いました。
尾張には日本武尊軍がそろいました。
尾張を出発した日本武尊は岡崎で賊と戦い、その後
三河山間部を経て駿河の入り口に向かいました。
浜名湖岸で海路と陸路を進行してきた全軍がそろいました。
駿河では賊に騙され火攻めに遭ってしまいます。
三浦半島から房総半島へ船で渡ろうとすると海神が怒り、
荒海で遭難しかけました。この時、妃の弟橘媛が海に身を投げました。
暴風雨の中、走水の海を渡った日本武尊は出航地対岸の
房総半島に上陸しました。上陸地がどこなのか、
いくつかの候補地を紹介します。
弟橘媛が入水してしばらくしてから、海岸には媛が身に
着けていた衣裳や髪飾りが流れ着きました。また、
遺骸が流れ着いたとも伝えられています。
房総半島では阿久留王との激しい戦いが行われました。
日本武尊は蝦夷征伐のため房総半島から海路で北上しました。
日本武尊は蝦夷征伐のため竹水門を目指しました。東北地方の
東海岸沿いには日本武尊が滞在した、立ち寄ったとされる
ところがいくつかあります。